蓮の花・帯・昨年、躁鬱の躁状態から返礼品

 今年春、竪琴ライアー奏者であり製作者ガイネさんから蓮の苗をいただく。詳しくはまた。そして8/3開花、昨日も今朝も4時代に目覚め障子を開けると少し花びらを閉じた蓮の花が見える。現在5時過ぎ少しずつ花弁が広がっていく。この時の蕾の状態から少しずつ描いていく。至福の時。昨年まで横浜三溪園に通っていた。今年は8月9日まで土日祝早朝庭が開く。
それが庭に一輪だけ咲いてくれた。早朝は周りの草から朝露のプレゼントが蓮の葉に集まる。宝石の美しさ。
今年はストール手ぬぐいの注文が沢山来ました。
 昨年の私は八方塞がりの年でした。 言い訳しても仕方ないので2年前ふるさと返礼品の話しやその前からのスカーフの話しどちらも父に話しが来るも、父には出来ないので私が引き受ける事になる。全て作業するのは私なのに 父は何かと口を挟み書類に明け暮れたり描くことに明け暮れたり その合間に様々な仕事が来るが全て私が対応 姉は私はわからないからやらない でも両親の面倒はみてくれるので、私もそれ以上言えず。仕事をこなしながらまた大病してしまう時のような多忙な日々。  昨日は帯を仕上げて持っていくも 父に そんなケチな物描きやがってと言われ、外して一度洗えと言われ、洗ってしまった帯、でもお客様からの依頼だからと強く言っていたのに あまりの言葉に私も洗ってしまった。 そのままで良かったんだと昨日の言葉でわかった。  私はどれだけ父に振り回されて生きているんだろう。 やりたくもない返礼品もやって、帯の仕事が遅れた。遅れ過ぎ。何が何でも父にどんな罵声を浴びせられても、お客様の帯、お客様の気持ちだけ考えて作っていれば良かった。 父が入るとろくな事がない。 新たに描き直しそれが終わるまで新しい仕事はしない。そう決めた。 ウストロと呼ばれいつも自殺を考えてた幼少期 泣くなと言われ、トイレで声を押し殺して泣いていた。いつ死ぬの?と言っていつも泣いていた。 早く死にたいと思っていた。保育園から出たところさつまいも畑があった、私はどうしてこんな所にいてまだ子供なんだろう。途方に暮れたのを覚えている。 毎食父の説教。食べた心地もしない。 貧血で倒れる日々。中2で痩せ細り血液検査ヘモグロビン平均値の半分以下 好き嫌い激しいか聞かれ 出された物は全て食べます。好き嫌いはありません。と伝える。 食事が美味しくないと身体に栄養として入っていかないと言われた。 毎食が地獄、父のくだらない説教で、食べた記憶がない。つまらない食事。 父から離れて父の言う事を聞かないと上手くいく。 それなのにここ数年、また父の話しを聞いてしまった。 聞いてはダメだった。 自己肯定感0の私に戻ってしまう。 もう戻らない。父に話しをしよう。 父はもう変わらない。変える気もない。 お客様に言われた言葉を父に伝えよう。 お客様の帯、帯を依頼したお客様の声を形にするのは私 私の人生、私の人生に父は入り過ぎ。父親なら協力して見守れ。 一度目の離婚の時も次に結婚する相手を見つけて来たら離婚を許可すらと言っていた父。私も私で一人目の結婚相手も両親が認めてくれると思って結婚してもらった。ところが子どもはいらない。生活感が出てブクブク太る母親になって欲しくない。と言われた相手だった。でも離婚はしない。私はクズだ。どうして、こんなに大切な事を聞かないで結婚してしまったんだ。7年かかり、彼の親友が私が子ども欲しいなら離婚してやれと説得してくれて離婚。 次の相手の事を話すと先に進まないのでまたにする。 大病後、ここ最近大病前の忙しさに戻っている。 もう倒れない。 父の話しは聞かない。 でも九星氣学とタロットカード、数年前はアカシックレコード、てあての波動調整、私独自のシルクを使うシルク療法をしてわかった事。  生まれながら父とは課題があって産まれてきた。 でもすべて乗り越えてきた。  昨日お客様に言われて、父の為の帯じゃない あゆみさんの人生、父は関係ないよね ガツンときた言葉  父がいなければすべて上手くいっている 父の言葉は聞かなくて良い あらためてそう思った 言ってくれた言葉に感謝 時間と労力が無駄になってしまった2年 本当にダメな2年だった 今年はと言うと、ほとんど父の意見を聞かないようにしていたら調子も良くなってきた  帯は大失敗 新たに描くがこの失敗は成功の元、沢山のアイデアを盛り込んで私の帯にしてみる。 描き足すことをいろいろ考えている。 2枚のお二人の帯、最初のひらめきのまま挑戦する。 ブログはまた書きます。 時間許す限り蓮の花を描いてきます。 私もまだまだダメ人間。学びの途中ですが厳しい言葉を言ってくれる人ほど宝です。 父はそれをはき違えている。お客様は神様です。それは本当ですね。真摯に受け止めて日々精進します。今までお買い上げの皆様ありがとうございます。