おばの生き方 右にならえ🤛!

 尊敬するおばの生き方を見て間違いないと思えた事がある。
やりたい事がいっぱいあるから寝てる暇もない。と言う。
  1人で泊まる、お一人様が出来なかった時代
おばを誘って白神山地までの旅に行った。
何年前の話しだろう。
   ちなみに21歳から1人旅の時も最初の数日間は高校時代の友達と行き先に帰ってもらい1人残って、好きなお寺を一ヶ所何時間も一つの仏像だけを見つめている。これは1人でないと出来ない。 例えば、六波羅蜜寺の空也上人立像など。
  30年前は夫婦とかカップルとか友達など2人以上でないと予約ができない所ばかりだった。ある時からバックパッカーが泊まる宿に日本人も泊まれると知るまで大変だった。 白神山地の時、かなり健脚なおばはスイスイ山を歩く歩く! 私は山野草に目を奪われ寄り道ばかり、でも上手い具合におばが私を待ってくれてお互いに負担がない。
似ているところは骨折しても仕事を休まず働き続ける事。あっぱれのおばだ。  昨日は母の誕生日やら上の子の就職祝いやら、ひっくるめて焼き肉屋さんへ行く予約を入れた。ところが母はぐずぐずで行けないと言う。 歩けているのに歩けないと言い座っていられないと一日中座っている。 すべてを諦めた人はこうなるんだと痛感した。 もう誰からも嫌われていいの?と聞くと良い。と言う。 もう何も聞かないよ、と言うとそれで良いと言う。  かつての母は風邪一つ引いた事がなく痛い者の気持ちがわからなかった。 おばの方が病弱に見えた。ところが、おばも私も病気をしたので、健康のありがたみが痛いほど良くわかる。  だから、ジッとなんかしていられないんだ。  おばはカラオケ、麻雀、グランドゴルフ、その他畑仕事、とりあえず、随分減ったけど趣味の達人。 今度麻雀を教えてもらいに行く計画。 ボケなくて良い趣味ばかりしている。理想の生き方。  中3の時、両親に嫌気が刺しておばのところに遊びに行った。 おばは私に何にでもなれる。頑張んな!と一言だけ言った。  私は子供達に同じ事を言っている。 ちなみに父には何も出来るわけない。 そんな最低の事を言われ続けた気がする。 もう昔のことは癒したつもり、気にすんのやめな。 おばの言う通りになった。 毎日、生きているだけで嬉しい。 感謝!それだけだ。  白神山地に話を戻すと大きなバンガローに2人で泊まった 1人は予約を入れてもらえなかった。2人分払うと言っていたのに 北海道への北斗七星号もとうとう泊まれないまま終わった。  今はお一人様で何処でも泊まれる。 30数年前の私が今ここにいたら世界中飛び回っていたかも知れない。  おばはおじが亡くなってから毎日よく生きて来たと思う。  白神山地を登った次の日は、青森から日本海側の電車に揺られて、秋田県酒田市、土門拳記念館の写真を見学に行って帰った。 感激、私が見たかった写真が並んでいた。 びっくりしたのがどんどん入れ替わります。との事 奇跡的に見たい写真ばかり並んでいた。 おばは、私が誘ってくれたおかげで良い旅が出来たと言ってくれた。 その一言で充分だった。 私はおばの生き方がとても好きだ。 肩の力を抜いて流れに任せて生きる。 私も、自然とそうしてきたか。 ただ一つ、病気の事、今度ブログでアップして良いか聞いて書く。 私は転移するたびにに取りに取ってもらい今ピンピンしている。 温存治療を反対する。 出来る限り、小さいうちにとる。再発しても、取りまくる。 それがいいと私は確信している。 動画で撮ろう そして抗がん剤治療すすめない 私は死にかけたから 白血病などには良いかも知れないと思う。