インナーチャイルド・幼い頃の自分を癒す
私は2017年3月3日に大切な人をみつけた
私は何の為に生まれてきたのか
私は何をする為に生まれてきたのか
自分探し、自分は何者か?
誰かの為に生きてきた自分。
自分の為に生きる事。
あなたは自分の事を愛していますか?
2017年の頃の私はNO、私は生きていても良いのだろうか?自己肯定感0の私。
自分を大切にして来なかった。
インナーチャイルドの言葉をある先生から知った。幼い頃の自分を癒して、自分を認めてあげる。これでもか、これでもかと幼い頃の自分と向き合う。この作業、辛すぎて吐きそうになる。
でも、今を生きるのであれば、それをすることで、生まれ変われる自分に気付く。
このブログを読んでくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞこの作業をしてみてください。
0歳の私
放って置かれた。泣いても泣いても、母も誰も来ない。
そんな事があって大変だったね。良く頑張ったね。よしよし、もう大丈夫だよ。
その時、お母さんも大変だったのかもしれないね。そんなお母さんも認めてあげよう。
1歳の私
2歳の私の私と一年毎に自分と向き合う。
私は物心つく頃から父にウストロと呼ばれていた。
ウスノロマヌケから取った呼び名。
毎食、罵声が飛び、泣いて食べられない。
泣くな、と言われる。トイレに行って声を殺して泣く。
私はいつ死ぬのだろう。と、幼い頃から死ぬ事ばかり考えていた。父に殺される夢を良く見ては泣いて起きた。
裏山に連れて行ってくれた父、丸太が倒れていて橋のようになっている。父が渡る。私を呼ぶ。父の一歩と私の一歩は違うし、怖くて渡れないでいると、こんな橋も渡れないのかと怒鳴る。私はまた泣く。
たぶん、手を引いてくれたら渡れたと思う。
どんなに上手く絵を描いて褒められても、絶対褒めない、上から塗り潰して加筆されてしまう。
母はどんな絵も褒めてくれた。
ある時から、私も姉も父には一切絵を見せなくなった。
3歳か4歳の頃、飼っていた犬の絵を描いて、我ながら良く描けたと思っていた。
父が来て、この絵を描けという。
子ども百科事典のキリンの絵のページ。
私が描いていると父が来て絵の具の黒を取り出して草を描いている。その絵を何かの展示会に持っていった。その展示会には、子どもらしい動物の絵が沢山並んでいた。
私が最初に描いた絵があったら、一番上手いと褒められたと思う。
でもそこには父に言われ移し更に父が加筆したキリンの絵が飾られていた。
嬉しくもなんともない。味気ない絵。
父はその時の事を覚えているのだろうか?
絵にまつわるエピソードがあり過ぎて辛い。でも、良く頑張って今は楽しく描けている。その時の私をたくさん褒めてあげる。
よしよし!良く頑張った。
ちなみに、こんな親にならないと自分に誓う。後に反面教師の言葉を知る。
子どもの頃、みそっかすという言葉があった。近所の子供達の中で私が一番年下だった。
鬼ごっこ、缶蹴り、何をやっても足が遅くて、そのうちまかれて、誰も居なくなる。
1人になった私は泣きながら、裏山に行ったり、田植え前のレンゲ畑でレンゲを摘んで遊んだりしていた。
その時の幼かった自分が、精いっぱい頑張って遊んでもらいたかった事、それでも必死について行こうとしていた自分を褒めてあげよう。本当に良く頑張ったね。偉い偉い!
涙無くしては語れないことばかり、誰も悪くなかった。
今見ても、父は子どものまま、人の言う事は聞かない。周りを振り回すだけ振り回しても、悪いと思う事も無く、未だに俺の話しを良く聞いてという。
反省も何もない。威張り怒鳴り散らし、自慢話か、人のアラ探しをしてけなすことばかりしている。
私や姉を私の子ども経ちを認める事は生きている限り無さそうだ。
そんな父も認める。お金に苦労した事もないから、金銭感覚も何もなく、私が子ども2人や家族、仕事のやりくりで、とても大変な事も、父は知らない。でも、それを認める。父の土台があったから、今の私がある。
反面教師のままでも何でも良い。こんな親にはならない。と生きてきた。私を褒める。
父は、お笑いのテレビは見ると馬鹿になる。と言って、見せない。見るな。と言っていた。マンガもアニメも同じだった。
話しが飛ぶが、私は子供にマンガもアニメもお笑いもみたい物全部見て良いと伝えている。父と真逆!日本のお笑いが世界一だと思っているから。
そんな訳で、そんな父と一緒に生きてきた私を褒める。こんなに耐えてきた子供はいないと思う。
0歳からのインナーチャイルドで、どれだけ父に傷つけられて、人格を粉々にされて、自信のかけらもない子に育った。
生まれて来なければ良かったと何度も思った。どうして、こんな父のところに生まれてきたんだ?と自分を恨んだ。
インナーチャイルドでわかったこと。
3年かけて、事ある事に、自分を見つめ直す作業をしてきた。これはとても苦しい時の自分に戻るので、本当にテンションガタ落ちになった。
おかげで、父も子供で育て方もわからないのに、必死になって親になろうとしていた事もわかった。
母も同じ。姉も、近所の年上の子もみんなそうだ。
3年かけて、自分を見つめインナーチャイルドを癒して浄化させて、自己肯定感を高める。
生きていて良いんだな私。
自分を大好きになる。ダメな所も良い所も。すべて認める。自分が自分を一番愛してあげる。
そうすると、みんなに愛を与えられる自分になる。
ずっと、誰か?の為に生きて来たのが、自分の為に生きられるようになる。
まだまだ足りなくて、ダメな所もいっぱいあるけど、完璧な人なんていないから、一つ一つ直せるところは直していく。それで良いと私は思う。 ちなみに54歳の私は54年分、父に認めてもらいたかったんだとわかる。でも一生、このままでも良いやと思えるようになってきた。 これは、自分を認めていく作業が出来て、自分も父も許し認めたからに他ならない。 私にとって大切な人は自分を取り戻してくれた人。 魂のソールテーマは友愛、私の大切な人は同志であり魂の伴侶に違いない。その人を見つけられて良かった。 大切な人に感謝。私はその人と一緒に生きて生きたい。 お互いに魂を磨き合って生きていきたい。 インナーチャイルド、幼い頃の自分と向き合う。どうぞ、取り組んでみてください。自分と関わってきた人の全てを許して、自分を認めてあげてください。許せない時は、そんな自分も認めてあげてくださいね。 おぬし、まだまだ、心が狭いのう。早く認めてあげんかーい?ってか。 と、そんな感じでございます。
私は何の為に生まれてきたのか
私は何をする為に生まれてきたのか
自分探し、自分は何者か?
誰かの為に生きてきた自分。
自分の為に生きる事。
あなたは自分の事を愛していますか?
2017年の頃の私はNO、私は生きていても良いのだろうか?自己肯定感0の私。
自分を大切にして来なかった。
インナーチャイルドの言葉をある先生から知った。幼い頃の自分を癒して、自分を認めてあげる。これでもか、これでもかと幼い頃の自分と向き合う。この作業、辛すぎて吐きそうになる。
でも、今を生きるのであれば、それをすることで、生まれ変われる自分に気付く。
このブログを読んでくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞこの作業をしてみてください。
0歳の私
放って置かれた。泣いても泣いても、母も誰も来ない。
そんな事があって大変だったね。良く頑張ったね。よしよし、もう大丈夫だよ。
その時、お母さんも大変だったのかもしれないね。そんなお母さんも認めてあげよう。
1歳の私
2歳の私の私と一年毎に自分と向き合う。
私は物心つく頃から父にウストロと呼ばれていた。
ウスノロマヌケから取った呼び名。
毎食、罵声が飛び、泣いて食べられない。
泣くな、と言われる。トイレに行って声を殺して泣く。
私はいつ死ぬのだろう。と、幼い頃から死ぬ事ばかり考えていた。父に殺される夢を良く見ては泣いて起きた。
裏山に連れて行ってくれた父、丸太が倒れていて橋のようになっている。父が渡る。私を呼ぶ。父の一歩と私の一歩は違うし、怖くて渡れないでいると、こんな橋も渡れないのかと怒鳴る。私はまた泣く。
たぶん、手を引いてくれたら渡れたと思う。
どんなに上手く絵を描いて褒められても、絶対褒めない、上から塗り潰して加筆されてしまう。
母はどんな絵も褒めてくれた。
ある時から、私も姉も父には一切絵を見せなくなった。
3歳か4歳の頃、飼っていた犬の絵を描いて、我ながら良く描けたと思っていた。
父が来て、この絵を描けという。
子ども百科事典のキリンの絵のページ。
私が描いていると父が来て絵の具の黒を取り出して草を描いている。その絵を何かの展示会に持っていった。その展示会には、子どもらしい動物の絵が沢山並んでいた。
私が最初に描いた絵があったら、一番上手いと褒められたと思う。
でもそこには父に言われ移し更に父が加筆したキリンの絵が飾られていた。
嬉しくもなんともない。味気ない絵。
父はその時の事を覚えているのだろうか?
絵にまつわるエピソードがあり過ぎて辛い。でも、良く頑張って今は楽しく描けている。その時の私をたくさん褒めてあげる。
よしよし!良く頑張った。
ちなみに、こんな親にならないと自分に誓う。後に反面教師の言葉を知る。
子どもの頃、みそっかすという言葉があった。近所の子供達の中で私が一番年下だった。
鬼ごっこ、缶蹴り、何をやっても足が遅くて、そのうちまかれて、誰も居なくなる。
1人になった私は泣きながら、裏山に行ったり、田植え前のレンゲ畑でレンゲを摘んで遊んだりしていた。
その時の幼かった自分が、精いっぱい頑張って遊んでもらいたかった事、それでも必死について行こうとしていた自分を褒めてあげよう。本当に良く頑張ったね。偉い偉い!
涙無くしては語れないことばかり、誰も悪くなかった。
今見ても、父は子どものまま、人の言う事は聞かない。周りを振り回すだけ振り回しても、悪いと思う事も無く、未だに俺の話しを良く聞いてという。
反省も何もない。威張り怒鳴り散らし、自慢話か、人のアラ探しをしてけなすことばかりしている。
私や姉を私の子ども経ちを認める事は生きている限り無さそうだ。
そんな父も認める。お金に苦労した事もないから、金銭感覚も何もなく、私が子ども2人や家族、仕事のやりくりで、とても大変な事も、父は知らない。でも、それを認める。父の土台があったから、今の私がある。
反面教師のままでも何でも良い。こんな親にはならない。と生きてきた。私を褒める。
父は、お笑いのテレビは見ると馬鹿になる。と言って、見せない。見るな。と言っていた。マンガもアニメも同じだった。
話しが飛ぶが、私は子供にマンガもアニメもお笑いもみたい物全部見て良いと伝えている。父と真逆!日本のお笑いが世界一だと思っているから。
そんな訳で、そんな父と一緒に生きてきた私を褒める。こんなに耐えてきた子供はいないと思う。
0歳からのインナーチャイルドで、どれだけ父に傷つけられて、人格を粉々にされて、自信のかけらもない子に育った。
生まれて来なければ良かったと何度も思った。どうして、こんな父のところに生まれてきたんだ?と自分を恨んだ。
インナーチャイルドでわかったこと。
3年かけて、事ある事に、自分を見つめ直す作業をしてきた。これはとても苦しい時の自分に戻るので、本当にテンションガタ落ちになった。
おかげで、父も子供で育て方もわからないのに、必死になって親になろうとしていた事もわかった。
母も同じ。姉も、近所の年上の子もみんなそうだ。
3年かけて、自分を見つめインナーチャイルドを癒して浄化させて、自己肯定感を高める。
生きていて良いんだな私。
自分を大好きになる。ダメな所も良い所も。すべて認める。自分が自分を一番愛してあげる。
そうすると、みんなに愛を与えられる自分になる。
ずっと、誰か?の為に生きて来たのが、自分の為に生きられるようになる。
まだまだ足りなくて、ダメな所もいっぱいあるけど、完璧な人なんていないから、一つ一つ直せるところは直していく。それで良いと私は思う。 ちなみに54歳の私は54年分、父に認めてもらいたかったんだとわかる。でも一生、このままでも良いやと思えるようになってきた。 これは、自分を認めていく作業が出来て、自分も父も許し認めたからに他ならない。 私にとって大切な人は自分を取り戻してくれた人。 魂のソールテーマは友愛、私の大切な人は同志であり魂の伴侶に違いない。その人を見つけられて良かった。 大切な人に感謝。私はその人と一緒に生きて生きたい。 お互いに魂を磨き合って生きていきたい。 インナーチャイルド、幼い頃の自分と向き合う。どうぞ、取り組んでみてください。自分と関わってきた人の全てを許して、自分を認めてあげてください。許せない時は、そんな自分も認めてあげてくださいね。 おぬし、まだまだ、心が狭いのう。早く認めてあげんかーい?ってか。 と、そんな感じでございます。